パパならどうする? パパならどうする?

偲ぶとともに生きる

パパならどうする?

Essential
2023.2.10 Text:Yuriko Hayashi

大切な人を想い、偲び続ける人がいる。その姿と心から、様々なご供養のかたちやご供養のある日々がもたらすことを学び、未来へ繋ぐインタビュー連載。

江部寅吉さん 江部寅吉さん

一家の主人・寅吉さんを見送るにあたり、次々に押し寄せた自宅介護や入院、お葬式やお墓の準備といった初めての経験。妻と娘たちは「パパはどうしたい?」、「後悔したくない」と心を寄せあい、選択を重ねてきた。寅吉さんへの想いを胸に、より絆を深めた一家の軌跡をここにたどろう。

お見送りは、重ねた家族旅行の思い出とともに

長年コーヒーを扱う企業を勤め上げ、仕事人間だった寅吉さん。57年連れ添った菊枝さんが「冗談を聞いた覚えはないですね(笑)」と表すように、寡黙な人だった。「家の中に女が3人。あんまりうるさくしていると怒られることもあったわね(笑)」と、長女である美佐子さんの口ぶりからは賑やかな母娘を微笑ましく見守る大黒柱の姿が目に浮かぶ。

家族に会話の彩りが生まれたのは、寅吉さんが退職してからのこと。次女の淳子さんは「丸くなったよね。私は実家ぐらしだったので、一緒にワインを飲みながら話をしたり」と、在りし日の面影を偲ぶ。

また、年1回の恒例になった家族旅行も一家の絆を深めた。メンバーはいつも、親子4人と美佐子さんの夫と娘の6人。「私と淳ちゃんで計画するから、予算はパパが出してね! ってお願いして。楽しかったよね」。「北海道や金沢、京都、長野のワイナリーなど、ずいぶん色んなところへ出かけましたよ。主人も楽しみにしていました」。

しかし「次は沖縄に行きたいね」と話が持ち上がったまま、寅吉さんは帰らぬ人となったのだった。

新型コロナウィルスの感染拡大下とあり、葬儀に参列できたのは家族旅行のメンバーのみ。それでも旅行の写真をアレンジして飾り、寅吉さんが好きだった赤ワインを布に含ませて唇を潤すなど、故人を想いながらお別れの時間をゆっくりと過ごすことができた。

余命宣告と悲しみの狭間で、最善の葬儀をしたかった

「家族も本人もまだまだ元気だと思っていたから、なかなか認められなくて……」。淳子さんは亡くなる2年ほど前に体調を崩した寅吉さんを、菊枝さんとふたり自宅で看てきた。晩年は食事量が減り、亡くなる1ヶ月前に入院すると、みるみる体力が低下。

「コロナ禍でも面会が許されていたのは、先が短かったからなんでしょうね。寝ている時間が長くなって、最後はほとんど意識がない状態でした」と回想する淳子さん。離れてくらしていた美佐子さんも、見舞うたびに弱っていく父の姿に涙するしかなかったと言う。

「目は閉じていたけど、手を握るとわずかに握り返してくれる。まだ大丈夫だね、と話していたんですけどね」。希望を繋ぐ菊枝さんと娘たちに、いよいよ医師から余命が告げられた。

最期の会話も望めない家族に突きつけられたのは葬儀の手配という現実。「バタバタではなく、できるかぎり納得のいくお葬式を」と母娘で話しあい、葬儀仲介サービスへ申し込むに至る。

「タイミングがよかったというのも何ですが、葬儀社を決めた4日後に息を引き取りました」。早朝5時半過ぎに連絡を受け、病院へ駆けつけたが最期を看取ることは叶わなかった。待ってはくれない時間、進めなくてはならない手続きの数々。だが、流されるままではなく自分たちで葬儀の形を選び、託すことができた。

パパという羅針盤を胸に、諦めなかった納骨堂探し

三男で郷里に入るべきお墓のない寅吉さんだったが、生前から家族全員が「いずれ」と考えていたため、納骨するお墓も、祀るお仏壇もない。四十九日の法要を終えて一旦胸を撫でおろしたものの、すべきことは多かった。

初めてリアルにお墓のことを考えたとき、挙がった条件は、家の宗派である真言宗のお寺が管理する永代供養付きの納骨堂、というもの。娘たちが率先し、さまざまな候補をピックアップしたが、条件にあう納骨堂はどれもいわゆる自動搬送式。見学してみるも「お骨が納骨壇の中をぐるぐる回って出てくるのは、居場所がないみたい」と美佐子さんが話すように、3人ともしっくりこず。淳子さんも「いっそ普通のお墓にする? と意見があっちへいったりこっちへいったり」と、当時を振り返る。

そんな中、道しるべになったのは寅吉さんの声に想像を巡らせることだった。「変な話、亡くなってからの方がパパを身近に感じる」と、美佐子さんは言う。「パパどうしてるかな、なんて元気でいた頃は四六時中考えないじゃないですか。むしろ今は何気ない時に気配を感じるんですよね。あ、側にいるのかなって」。淳子さんも「何かあると話しかけるよね。今日も取材でパパのことを話してくるよってお仏壇に手をあわせてきたし」と口を揃える。

一周忌には納骨を、と焦りを募らせながらも「パパだったら何を選ぶかな?」、「お墓参りのたびに後悔したくない」と想いをひとつに希望に沿う納骨堂を求め、たどり着いたのは『大田区霊園 百月院』の納骨堂。それぞれのスペースが固定された、3人の理想とするタイプだ。当初は寅吉さんと菊枝さん夫妻のみが入ることを想定していたが、最終的に8名まで利用できるサイズに決定。嫁いだ美佐子さんだが、将来は両親とともに眠る選択も考えているそう。

ふと襲いくる悲しみや無力感をこらえ、納骨堂探しに向き合った1年間。一周忌法要の日、寅吉さんのお骨を納めてようやく「パパもお疲れさまでした」と肩の荷をおろすことができた。

一日一日を一生懸命に、大切に生きていきたい

「毎日顔を見ていた人がいなくなるのは寂しかった」。そう漏らした菊枝さんには、お仏壇をじっと見つめて放心する日々もあったとか。しかし「毎朝コーヒーを淹れて、召し上がれ、と一緒にいただくようになりました。おはようからおやすみまで、生前と同じように声をかけています」。そうして一日、また一日と安寧を取り戻してきた。

「コーヒーはパパの担当だったもんね」。すぐ隣で両親を支えてきた淳子さんの胸中には、やるかたのない想いが交錯する。「介護をしていると色々あったので。あの時もうちょっとああしておけば、という後悔が今も消えないんです。ご供養を続けながら自分も癒されるじゃないけど、月命日のお墓参りに来るたび、もういないんだなぁと実感しながら少しずつ受け入れていっている感覚ですね」。

寅吉さんの面影を胸に歩んでいく一家には、うれしい出来事も。淳子さんの結婚だ。揃って墓前へ報告した日、寅吉さんの写真を伴って挙げた式の日には「パパが誰よりも喜んでいる」という確信が3人の胸に。記念撮影の時、真っ先に泣き出したという美佐子さんは「また思い出しちゃった」と目頭を押さえる。

3人が今、寅吉さんへ伝えたいこととは?

「もう一度会いたい」。菊枝さんは少しはにかんだような、しかし曇りのない笑顔でそう聞かせてくれた。「生前と変わらず、元気でやってるよ〜! 心配しないでね、という感じかな」と笑う美佐子さん、「感謝ですね。一緒にくらした時間が長かったのに、元気なうちに伝えられなかったので」と続ける淳子さん。

さらに淳子さんは「身内が亡くなって死というものに接し、今を一生懸命に生きたい、みたいな気持ちになったかな。永遠じゃないから」と気づきを明かす。美佐子さんは「一日一日を大切に過ごしていきたい、っていうことだよね」と頷いた。寅吉さんへの想いを胸に、各々の生を歩み始めた3人。「パパの淹れたコーヒー、また飲みたいね」と言って、肩を寄せ、納骨壇に向かう背中が支えあう絆の深さを何よりも雄弁に語っていた。

想像する時間は生きることを豊かにする。

お墓探しに翻弄されながら、寅吉さんの声を想像し続けていたご家族。その姿は、愛おしい思い出だけが寅吉さんの住処ではないことを教えてくれた。「パパだったら」と、一人ひとりに寅吉さんの住処をたずさえて、ふとした瞬間に、寅吉さんと会話をする。3人がそれぞれに想う寅吉さんをわかりあえることもまた、寅吉さんの住処を灯す光になったことだろう。

菊枝さんが淹れるコーヒーの香りが寅吉さんの朝の風景を呼び起こし、淳子さんの結婚式には、浮かぶ寅吉さんの笑顔に涙する。お仏壇やお墓という形の前に、そうして寅吉さんを想像してきた時間が一番のご供養になっているのかもしれない。

一方で、大切な人の死という痛みを支えあい、それぞれが生きることも労わりあえる。たくましくも温もりに満ちた江部家の絆は、家族皆で築いてきたものであり、寅吉さんが遺した最後のプレゼントでもあるのだろう。

今回の取材は、ひとつだけ後悔をした。普段の3人での菊枝さんではなく、寅吉さんの妻としてのお話をもう少し聞かせていただけばよかったなぁと。代わりに美佐子さん、淳子さんと3人でいつものように、たくさんお話しいただければ、私たちに心残りはありません。

最後に、貴重なお話を丁寧に聞かせてくださった、江部菊枝さん、植原美佐子さん、伊藤淳子さんへ深く感謝をいたします。次の家族旅行はきっと沖縄へ。寅吉さんも、心待ちにされていることでしょう。