これからも大家族をつなぐもの これからも大家族をつなぐもの

偲ぶとともに生きる

これからも大家族をつなぐもの

Essential
2023.4.7 Text:Yuriko Hayashi

大切な人を想い、偲び続ける人がいる。その姿と心から、様々なご供養のかたちやご供養のある日々がもたらすことを学び、未来へ繋ぐインタビュー連載。

金井都子さん 金井都子さん

葬儀に150人を上回る人が詰めかけ、お墓には10人もの建立者名が刻まれている。故人の都子さんは、9人兄弟の母。豪快でお茶目、だけど誰よりも情が深い。その愛すべき人柄と大家族の偲ぶ姿を、5番目の子で次女の亜由美さん、7番目で三女の奈保美さんに聞いてみた。

情に厚く、老いも若きにも慕われるビッグママ

慌ただしかった葬儀の日を、寂しさはなく「ただ、ちゃんとやってあげなくちゃという気持ち」だったと姉妹は振り返る。9人の子供たちめいめいが近しい人を案内するに止まったが、友人が友人を呼び、訪れる人が後を絶たない。葬儀場の担当者もその状況に驚き、対応する兄弟姉妹のチームプレーには感心していたそう。棺の中の都子さんは、終始きれいな笑顔で縁ある人たちとの別れを惜しんでいるように見えた。

奈保美さんの友達からすると、都子さんはインパクトの強いお母さん。「礼儀には厳しいけど、話すと変な冗談がいっぱい飛び出して。奈保のママって怖いけど超面白い!って皆が仲よくなっていく感じでした」。離婚し、都子さんが介護の仕事で不在がちだった分、兄姉やその友達が小さい子の面倒を見る。どこまでが家族か分からないほど、下町の家は賑やかだった。

「お酒を片手に運動会の応援にきたり(笑)」、「酔うとその辺の若い子たちを家に呼んでお小遣いをあげちゃったり(笑)。家は苦しいのにね」。都子さんの豪快なエピソードは枚挙にいとまがない。だが、人情は人一倍厚かった。「人がいいから皆が寄ってくるんですよね。年齢関係なくママ、ママって呼ばれて人気者でした」と亜由美さんは話す。

気丈な笑顔を残し、最期はひとり眠るように

亡くなったのは3年前の師走。以前患ったガンが再発し、精密検査をすると、すぐに奈保美さんと長女は余命を言い渡された。入院先には奈保美さんをはじめ、兄弟姉妹で交代に面会に行っては様子を報告しあう。都子さんの前では深刻な話を避け、不安は冗談で吹き飛ばした。

病床の都子さんには、気がかりなことが。入院を余儀なくされて施設に託した後夫・良雄さんのことだ。妻のすることを何でも「いいよ、いいよ」と許容し、子供たちにも惜しみなく愛情を注いだ良雄さん。都子さんは長年、体が動かなくなった良雄さんを献身的に介護してきた。娘たちも「お互い側にいるだけでよかったらしい」と認める分かち難い夫婦だった。

離ればなれの両親に何とか会話をさせてあげようと、奈保美さんが義父の施設へ、兄が母の病院に行って、テレビ電話を繋ぐことに。その日、きちんと化粧をした都子さんは「心配しないでね」と明るく笑い、夫も「自分は大丈夫だ」と返す。ふたりが言葉を交わした、最後のランデブーだった。

「お正月には帰れるように治療を頑張るよ」、「病室でカップラーメン食べてるぐらいだから大丈夫だね」と会話をできていたのも余命宣告からわずか二十日あまり。可愛がっていた姪夫婦が顔を見せに来た日の夜、安心したのだろうか、都子さんはひとり静かに息を引き取った。

日中は笑顔を見せていたにもかかわらず、唐突な病院からの連絡。子供たちを煩わせまいと早く逝ってしまったのか、奈保美さんの頭にはそんな想いがよぎったそう。「母のことで兄弟の意見が食い違うこともあったので、それに気づいていたのかも……」。

9人9色の想いを束ね、墓石に家族全員の名を刻む

亡くなった後、病室に集合した兄弟はさしづめ亡骸の取りあい。普段は涙を見せず、時には「くそばばぁ」なんて言っていた兄や弟が、なり振り構わず母を抱きしめ泣いていた。なのに、医療機器がピーッと鳴ると「おい、生き返ったぞ!」と冗談にしてみたり。「じゃあね」と笑顔で締めくくったのも、都子さんのDNAを受け継ぐ9人らしいお別れだ。

一連の光景を前に、改めて「母の想いは一人ひとりにちゃんと伝わっていたんだ」と実感した亜由美さん。思えば本当によく子供の気持ちを理解してくれる母だった。4人の子を育てるシングルマザーの次女にとって、都子さんはうるさいけど、一番の味方。ある時「アンタがよくやってるのは私が一番分かってる。だから、自分のために生きなさい」と背中を押してくれた。その言葉で肩の力が抜け、自分を楽しめるようになった。「昔は嫌なところもあったけど、亡くなってから母のいいところがすごく見えてきて。こんな人はほかにいないと思います」。

奈保美さんは誰より母と過ごした時間が長く、晩年も接点が多かった。彼女もまた、大人になるにつれて母の偉大さに気づいていった。働きづくめだったが「具合が悪い時、母にポンと触れられるだけで安心して治ってしまうような」、そんな存在だったと去来する。入院中も足しげく通い、よく気がつく三女へ、都子さんは「アンタに頼んだ」と良雄さんの今後を託している。

母との関係性は9人9色。一人ひとりに都子さんとの語り尽くせぬストーリーがある。ゆえに母のこととなると意見がぶつかりはすれど、できる限りのことをしたいという想いはひとつだ。墓石には、家族全員の名前を刻むことに。「皆の名前を入れて一体になる」と亜由美さんが表すように、法要には毎回、9人の家族あわせて30人以上が勢揃いする。兄弟姉妹のグループトークに都子さんの話題が飛び交い、会えば必ず話題が出るのもずっと変わらない。

お墓を居場所に、会いたい人のもとへ現れる面影

お位牌は現在、奈保美さんの家で写真と並べられている。「お水と果物を供える程度で雑かとも思うけど、亡くなった実感がないのでお仏壇を置く気持ちになれなくて。まだひとりで母のことを考えることはできないですね。万が一、義父に何かあった時に初めて実感するのかもしれない。本当にもういないんだって」。奈保美さんは、毎月のお墓参りを欠かさない。今はここが母の居場所だから、寂しがらせぬよう、会いに来るのだという。

亜由美さんは、生前、仕事を理由に素っ気なくしたことを悔いている。職場の同僚から親のために休みたいと相談された時「絶対にそうした方がいいですよ」と強く勧める自分がいた。後悔の念がそうさせるのか、夢にはしばしば都子さんが現れる。夢の中でも母に助けられ、少しずつ「私にできることはやったよね」と思えるようになってきた。「最近夢には出てこないけど、日常で母の視線を感じる瞬間があって、ホッとするんですよね。叔母の家にもコーヒー頂戴と言って現れるらしいです。行くところはいっぱいあるので、転々としてるんでしょう」。

ふたりは時折、誘いあわせて都子さんに会いに来る。奈保美さんが持参するバスケットには、都子さんの好きなキャラクターグッズや掃除用具。墓石を丹念に磨き、おのおの良雄さんや子供たちの様子を報告したら、最後に「見守っててね」と頼むのがお決まりだ。話したいことがいっぱいで、手をあわせると長くなるのはきっと、かわるがわる訪れる兄弟たちも同じだろう。家族全員の名前が刻まれたお墓は、今日もピカピカだ。

亜由美さん、奈保美さんそれぞれにお母さまとの向きあい方があり、おふたりから話しを聞けば聞くほど、9人の子供一人ひとりと対話をしてきた愛情深いお母さまの姿が思い浮かぶ。
 
それぞれがそれぞれを尊重し、それぞれの言葉を大切に聴く。9人の兄弟姉妹の間にはそんな場があるように感じた。奈保美さんにはお母さまが亡くなった実感がまだない。ひとりでお母さまのことをじっくり考えることもまだできないという。できない時はできないままでいい。9人の兄弟姉妹の場がお母さまの存在する日々を重ねてくれる。その中で、自分らしく都子さんを想う時間はやがて見つかっていくだろう。誰かの解釈ではなく自身の感じ方を大切にする、一番の見本は都子さんなのだから。

また、亜由美さんへのアドバイスを体現していたかのように、自身の人生を謳歌した都子さんの姿も垣間見れた。都子さんが日々の中で注いだ愛がどれだけの人を魅了したかは、お葬式の参列者の数に比例する。だから、どんな形であろうと都子さんはこれからもきっと生き続ける。亜由美さんの家を覗き込んだり、都子さんのお姉さんの家にコーヒーを貰いに行ったり。みんな都子さんと別れたくない。

都子さんから受け取ったものが、それぞれの暮らしに溢れている。その一つひとつが、この先も多くの人と時間をつなげてくれるように思う。それだけでも、都子さんへのご供養となっていることだろう。

最後に、ご家族の貴重なお話を丁寧に聞かせてくださった庄司亜由美さん、木下奈保美さんへ深く感謝をいたします。これからも仲睦まじい9人の兄弟姉妹それぞれにたくさんの都子さんを語り、感じる場を紡いていかれますように。