偲ぶとともに生きる
手を合わせるとホッとして、がんばれる
Essential
2022.11.4 Text:Yuriko Hayashi
大切な人を想い、偲び続ける人がいる。その姿と心から、様々なご供養のかたちやご供養のある日々がもたらすことを学び、未来へ繋ぐインタビュー連載。
3年前に最愛の妻との別れを経験し、70代前半で次の一歩を踏み出した幸治さん。「クヨクヨしていても仕方がない」と家を処分し、新生活をスタートした。毎日おのずと何度も手を合わせ、晩酌なら妻の分もお酒を置いて語りかける。妻への想い、今のくらしや未来について聞いてみた。
バラのアーチとともに眠る、最愛の妻
ゆっくりと、慣れた足どりで【川口納骨堂 八聖殿】の螺旋階段をのぼり、五十嵐さんは納骨壇の前に佇む。扉に描かれたバラを指し、「そのままなんですよ。これだ!と運命を感じました」と、こちらへ笑顔を向けた。
五十嵐さんが納骨壇の扉のデザインに希望した(※)のは、3年前に亡くした妻の千代さんが丹精込め、玄関先を彩っていたバラのアーチ。「近所の人たちも足を止めて見入っていましたよ。掃除するのは私だから、毎年5月は大変で(笑)」。手がかかるバラを見事に咲かせ続けた、その事実に千代さんの人柄が表れるようだ。
千代さんとは再婚同士。「静かな人だけど、どういうわけか波長が合ってね。お互いお酒と旅行が好きで、どこへ行くにもついてきてくれた。家内あっての私なんです。私あっての家内じゃない。先に逝くなんて、罪な女だよね(笑)」。
亡き後に自作したボードには、旅先で花を愛でる千代さんの写真が並び、連れ添った25年間の軌跡が見てとれる。思い出は「いっぱいありますが、一番は函館旅行かな。夜はご夫婦がやっているお寿司屋さんで一杯やって。もう一度行きたいと思っていたけど……」。
旅行は好きだが、ひとりで遠出をする気にはなれない。穏やかに寄り添っていた千代さんが、どれほどの存在であったのかしのばれる。
※【川口納骨堂 八聖殿】は、納骨壇が並ぶデザイン性のある納骨堂で、納骨壇の扉の図柄をそれぞれ自由にアレンジすることができる。
ふたりの納骨先ができ、将来像が見えて安心した
最期の瞬間は深夜の病院で。苦しまず、眠るように息を引きとった千代さんのそばで泣き崩れるしかなかった。その後、周囲の勧めで1年間は自宅へ留まることにしたが、当時どんな生活をしていたかはあまり記憶にないと言う。思い出の詰まった家にひとり残される虚無感は想像に難くない。
だが、すぐさま居間のサイドボードへお位牌や写真などを整え、毎日手を合わせていたことだけは確か。生きる意味を見失いそうになりつつも、千代さんへ感謝の言葉をかけることは欠かさなかった。「25年間ありがとう」。そう声に出して合掌の仕草をとった五十嵐さんの目に、光るものが覗く。
四十九日の頃に納骨を済ませると、五十嵐さんはようやく安堵を手にすることができたそう。「ホッとしました。私が死んだらもういいや、とも思う反面、やっぱりずっと一緒にいたい。何年後か分からないけど、自分もいずれ隣に入れる」。千代さんらしいバラのアーチが出迎える納骨壇が、ふたりの未来の家となり、行く末を見通すことができたのだ。
家を手放し、新たな環境へ飛び込む
千代さん亡き後、「ひとり住まいは無理だ」と自覚した五十嵐さんは早々に自宅を手離す決心を固め、終の住処をリサーチ。「クヨクヨしていても仕方ない。じっとしていられない性格なんでね。プラス思考で、前向きに」と奮起し、1年以内に高齢者向け住宅への引っ越しを実現。
「昔は営業職をやっていましたから、私の方から住人の方や職員の方に話しかけるんですよ。五十嵐さんは冗談ばかり言う人だと思われてる(笑)。私も努力しました。せっかく長年お世話になるなら、ルンルン気分で和気あいあいとね」の言葉に、ポジティブさが溢れる。週3日は新たに見つけた仕事へ通うなど、今のくらしを良いものにせんとする意欲が伝わってきた。
「入居したところの皆さんがいい人たちだったから、千代も喜んでいますよ。私が寂しがり屋だって知っているので。男性は大抵そうだけど、私は人一倍。涙もろいし。やっとおかげさまで慣れましたけどね」。
毎日伝える「二十五年間ありがとう、今日もよろしく」
1日は、千代さんへ手を合わせて始まる。好きだったピンク色を背景に数々の写真や記念品、バラの花などを飾ったサイドボードは五十嵐さんのお手製。
朝に限らずひまさえあれば手を合わせ、感謝の言葉に続いて「元気でやってますから、今日もよろしく。これから仕事に行ってきますとか、1日の出来事や昔の話もします」と亡き妻へ語りかけ続ける。そのことは、今を生きる五十嵐さんにとって一体どんな意味を持つのだろう?
「気休めかな(笑)。いえ、手を合わせて色々話すと安心するんですよ。ホッとするの。向こうも見ているからね。これで今日も1日がんばれた、がんばろう。いつも一緒にいるなと思えます」と言って、財布に忍ばせた千代さんの写真を取り出した。「持ち歩いて時々見ているから、ちょっとボロボロだけど」と笑いながら。
インタビューの最後に、五十嵐さんはこれほど千代さんの話を人にしたのは初めてだと明かしてくれた。「家内の話をできる場はなかなかないから、気持ちが和らぎましたよ。話しながら自分はこういう人間だったんだ、って。今夜は晩酌がおいしいぞ(笑)。もちろん千代と一緒にね。ひとりでブツブツ喋っているから、他人様はどうしたんだと思っているかもしれない(笑)」。
足しげく墓苑を訪れるのは「いつも一緒だけど、ここにはやっぱりお骨があるから」との想いゆえ。人形やお花でかわいらしく彩った納骨壇へ「じゃあ、また来週」と、静かに扉を閉じる。納骨堂に眠る千代さんや取材陣に大きく手を振り、颯爽と自転車で帰路につく背中には清々しさすら感じられた。
会った瞬間から、今住んでいる高齢者住宅の素晴らしさを語り始めた五十嵐さんは、にじみ出る明るさも手伝って、ポジティブに前を見て生きる姿が印象的だった。
きっと千代さんがいた頃も、五十嵐さんはそのままの姿だったように思う。日中はアクティブに働き、バラのアーチをくぐれば千代さんとの晩酌が始まる。アクティブな時間と、千代さんとの“安心”の時間は、生活のふたつの軸として共存していたのかもしれない。その“安心”が、今はご供養の時間として存在しているように見えた。
千代さんの面影を前に盃をかたむける時間が、今も尚、歩みを止めない五十嵐さんのホッとひと息、なのだろう。晩酌をするご供養の場には「何事も自然体」と語る五十嵐さんらしさが素直に表れている。難しくなくていい。そこに千代さんを感じ、語りかけやすいことが何よりも大切なのだ。
ご供養の空間は、何を見せてもらっても、千代さんへの愛が伝わってくる。だからこそ、そこに五十嵐さんの“安心”が生まれているように感じられた。
千代さんを愛することが、五十嵐さんの人生に寄り添っていたように、千代さんをご供養することもまた、五十嵐さんの人生に寄り添っている。今を生きる五十嵐さんはこれからも明るくポジティブな日々を過ごされるのだろう。千代さんを愛するというご供養とともに。
最後に、貴重なお話を丁寧に聞かせてくださった、五十嵐幸治さんへ深く感謝をいたします。これからも千代さんとともにある、ポジティブな毎日をお過ごしになられることを心より願います。