END展キュレーター・塚田有那(中編) END展キュレーター・塚田有那(中編)

会いたい人に会いに行く|塚田有那

END展キュレーター・塚田有那(中編)

Interview
2023.5.5

WEBマガジン「素祈」を運営する株式会社まなかの代表・宮嶋が、「偲ぶことの真ん中と向き合う」をテーマに人に会いに行く本連載。「素祈=ありのままに祈ること」という習慣をもっと豊かにするために、異なる文脈から「祈り」に触れる人々と対談をしていきます。

第二回となる今回の対談相手は、2022年に東京で開催された展覧会「END展」のキュレーター・塚田有那さん。「END展」では、その展示を通してさまざまな死生観の形が表現されました。そんな場を生み出した塚田さんと、現代における「死を思うこと」についてお話ししていきます。(前中後編の中編記事となります)

土地に根付いた「死の文化」がおもしろい

宮嶋そういえば、塚田さんはもともと「死」がご専門ではなかったんですよね?

塚田そうなんです。もともとはアート&サイエンスをテーマとしていて、科学技術などの研究領域に関わる一方で、民俗学や人類学の領域も好きで。今回の「END展」をはじめるきっかけは「AIやテクノロジーが浸透する社会の倫理を考える」という研究プロジェクトでした。当初、死は全く関係なかったんです。
ただ、「これからのAI社会」と言われても、自分ごととして引き寄せて考えてもらいにくい。そこで「誰もが自分ごととして考えられるようなテーマは何か」と考えたときに、「死」にたどり着いたかたちでした。
「END展」を経てからは、自分がもともと好きな民俗学や人類学の領域でも、「死」について着目することがやはり増えてきて、さまざまな事例に触れるようになりましたね。

宮嶋触れてきたなかで、特に印象的だったことはありますか?

塚田遠野の郷土芸能であるしし踊りを見たことですね。しし踊りはもともと、猟師が狩猟で撃った鹿の供養に始まり、それが結果的に人間の供養に応用されていったという歴史があると言われているんです。
パフォーマンスとしてもカッコいい土着の芸能なんですが、その水面下には、魂の供養や生と死の循環といった意味が込められてました。それを見て、「死が文化として根付いている」ということを感じたんです。各土地にあるはずのそうした文化を、もっと深く知りたくなりました。

宮嶋岐阜の郡上八幡の盆踊りもその一つですよね。子どもからおじいちゃんまで、まさに老若男女が明け方まで踊って、最後はみんなで先祖を見送って振り返らずに去っていく。そうした「供養とつながっている文化」に小さい頃から触れていると、何歳になっても同じ気持ちでその文化を続けてくれるんじゃないかと。

塚田郡上踊りのグルーヴ感は最高ですよね。私も一度参加して、大興奮しました。そうした大衆芸能としての盆踊りは日本各地にあるわけですから、「死者の供養」という元々のコンセプトがもっと見直されていくといいですよね。そしたらもっと、供養がより身近に感じられるのに。

宮嶋そう考えると、「死者の供養」について考えるためにも、各土地の死の風習についてもっともっと知るべきだなと思います。

しし踊り しし踊り 遠野のしし踊りの様子

塚田地方のユニークな死の文化という文脈で言うと、遠野の一部の地域では、法の抜け穴で、土葬が禁じられてこなかった地域というのがあるそうなんです。
現在は9割が火葬ですが、本当の意味で「土に還りたい」と考えている人にとっては、遠野に縁もゆかりもなかったとしても、「土葬してもらえるならここに骨を埋めてもいいかな」という発想にもなるかもしれないと、興味深く聞いていました。

宮嶋それはやはり遠野だから、そうしたお話がたくさんあるんでしょうか。

塚田やはり、柳田國男の『遠野物語』の功績は大きくて、民俗学的文化がいまだに多く残された土地なんだと思います。ただ、私自身も遠野の歴史に触れる中で、この山に散骨されたいなって思えたんですよね。
これまでは骨の埋葬地としては、生まれ育った土地か、親族のいる土地か、都市部かのいずれかしか選択肢がありませんでした。それにも限界が来ていて、最近では墓じまいや、海に散骨するサービスも増えていますよね。一方、自分が眠る場所を全く縁のない地方に見つけることもあっていいんじゃないかなと思いましたし、そうしたムーブメントが地方から始まっていったら、すごくおもしろいですよね。

宮嶋故郷や住んでいる場所に限らず、埋葬先を自由に選べたら、エンディングの選択肢が多様になりますね。

無縁の死を救うのは、インタラクティブな対話

塚田そういえば、沖縄のユタについても非常に興味深い話を聞きました。ユタというのは、沖縄に昔から伝わる、民間のシャーマンのような存在です。ある時期は敬遠されることもあったそうなんですが、戦後にものすごいユタブームが起きたんですね。
なぜ戦後だったかというと、太平洋戦争で沖縄の方々が一度にたくさん亡くなったからだそうなんです。

宮嶋そうした状況下で、なぜユタが求められたのでしょうか?

塚田おそらく、無縁化した故人を弔うために必要とされたのではないでしょうか。

塚田つまり、「誰かもわからなくなってしまった無縁の死が増えたときに、霊の声を聴いてくれたり、弔ってくれたりする霊能者が必要とされた」ということなのだと理解しています。
このお話を聞いて、遺された人にとって宗教だけでは立ち行かない何かがあったとき、インタラクティブに対話してくれる存在が求められたのかなと感じたんですよね。

宮嶋確かにそうかもしれません。ここ最近だと、3.11でも未だ行方の分からない方がたくさんいらっしゃいます。そうしたときにユタのように対話を通して、死について語り合える存在がもっといれば、心強い気がします。
ただ、現状ではこれといった解が思い浮かばなくて、たくさんの人が同時に亡くなったときの、行き場のないぽっかりと空いた気持ちは何が救ってくれるんだろうと思ってしまいますね。

塚田そうした問いが浮かんでいるからこそ、死について語り合う場がますます求められているんじゃないかなとも思います。それに、私がユタの話からインスピレーションを得たように、歴史や物語から弔い方のヒントを得ることもあると思うんですね。
たとえば、マンガをはじめとした若い方が入りやすい入り口を用意しつつ、沖縄紛争や各地に根付く供養の仕方などを展示する。これらをお勉強として学ぶんじゃなくて、自分の死生観と照らし合わせるための選択肢の一つとして見ていくことが、若い人にとってはとても良い機会になると思うんです。
すると、自分のなかの死生観のようなものを考えやすくなるかもしれない。

宮嶋10代、20代のタイミングで興味を持って考えられるのは良いことですね。この先、10年20年と時間をかけて、死への考え方が変わってくるかもしれません。

「点」ではなく、「線」の関係が求められている

祈りの道具屋まなか 祈りの道具屋まなか

宮嶋最近の歴史を振り返ると、この20年ほどでも「死」に対するスタンスはかなり変わりましたよね。私は会社を立ち上げた当初から、宗教観を取っ払って「何をしても自由ですよ」「自分の考えに沿ってやってください」と言い続けてきたのですが、そうしたメッセージがようやく時代に合ってきた感じがします。
エンディング業界はこれまで、残されたご家族のことを考えてこなかったと感じていました。宗教上のきまりで「こうでなくてはダメ」と決められていたり、アフターフォローが不十分で売りっぱなしになってしまったり。でも、本来は大切な人を想うための環境をつくることで、ご供養が始まっていきますよね。
まなかでは商品を通して、生活の中に「故人様に手を合わせる時間」を根付かせていってほしいと考えています。祈りの習慣が根付くような装置として、商品を作っているんです。

暮らしが多様化した現代にこそ、故人と向き合うのにふさわしい受け皿が必要だと考える「まなか」。遺された方がどこか故人を感じられるものを見つけてほしいとの思いから、お位牌だけでも多種多様なご供養の選択肢を作っている

宮嶋やはり昔ながらの慣習を変えるのには勇気がいりますし、既存のものが変わらないのも人の目を気にしてのことなのかもしれませんが。

塚田そうした意味で言うと、社会全体の変化も関係しているかもしれませんね。たとえば、20年前に会津に住む私の祖父が亡くなったときは、村中の人が家に来て大量の朝ご飯をつくってくれていました。それは葬儀の準備などで忙しい遺族を助ける習慣だったそうです。そうした文化や、文化を成り立たせる地域社会がなくなってきていますよね。現在の都市部だったら、隣に住んでいる人が亡くなっても、おそらくわからない。

宮嶋家族のあり方が変わってきていますからね。

塚田おっしゃる通りです。現代では死に限らず、育児や介護といった家族の問題を、一つの家族が全て請け負わなくちゃいけない状態になっている。これまではどんな時代にも地域社会があって、隣近所で助け合うことが前提だったはず。ワンオペ育児とかもそうですが、いまの社会はそもそもの人間一人のスペックには合っていないことを無理矢理やっている気がします。
たとえば、急に亡くなった方がいたとしても、お葬式やお墓、遺産までをご遺族の一人や二人で請け負うのは無理だと思うんです。せめて相談に乗ってくれる人がいてくれたらいいのですが。

宮嶋だから僕たちのような存在が頼られているんじゃないかなと思います。塚田さんがおっしゃられたように、お葬式以外にもたくさんやるべきことがある。故人様とのお別れに向き合うためにも、介護や相続といった、老いや死に関わることをまるっと引き受けてくれる人が、これからの時代には求められると思います。

宮嶋最近は、家族のかたちが多様化したこともあって、看取ってくれる人が誰もおらず、自分が死んだ後のことを心配される方が増えてきています。ある意味では、先ほどの「無縁の死」が日常的に起こっているのが現代なのかもしれません。
そうした方々のために、生前のうちに死後の設計プランニングをご提供できないかと準備を進めているところです。誰かが向き合っていかなければいけないのであれば、我々が少しでもお力になれればいいなと思っています。

塚田おそらく相談事の内容も一様ではなくて、いろいろな問題や事情があるじゃないですか。しかも移り変わりが激しい世の中においては、今日決めたことが明日変わるかもしれない。そうした状況下では、葬式だけを担当する「点」の関係ではなく、故人との向き合い方についてゆるやかに相談していけるような「線」の関係がまさに求められていると思います。

対談記事は後編を更新予定です。
後編:死後の私たちについて。自然の一部になりたいのか(5月19日更新予定)

構成:佐々木ののか
撮影:金本凜太朗
編集:乾隼人(Huuuu.inc)

Profile

  • 塚田 有那

    塚田 有那(つかだ ありな)

    編集者/キュレーター。2021年11月に「死」からテクノロジーと社会の未来を問う展覧会「END展 死×テクノロジー×未来=?」を企画。2022年5月には、二度目となる参加型展覧会「END展 死から問うあなたの人生の物語」を開催した。一般社団法人Whole Universe代表理事。アートサイエンスメディア「Bound Baw」編集長。編著書に『RE-END 死から問うテクノロジーと社会』がある。遠野巡灯篭木(メグリトロゲ)主催。

    『RE-END 死から問うテクノロジーと社会』

    塚田有那さんが編著を担当した書籍。「死」をテーマにこれからの社会と人間、そしてテクノロジーのありようを問いかける。気鋭のマンガ家による描き下ろしのショートマンガや絵を織り交ぜ、民俗学や人類学、情報社会学や人工知能研究といった多様な論者による寄稿にも注目を。(ビー・エヌ・エヌ、2021年出版)