会いたい人に会いに行く|塚田有那
END展キュレーター・塚田有那 (前編)
Interview
2023.4.28
WEBマガジン「素祈」を運営する株式会社まなかの代表・宮嶋が、「偲ぶことの真ん中と向き合う」をテーマに人に会いに行く本連載。「素祈=ありのままに祈ること」という習慣をもっと豊かにするために、異なる文脈から「祈り」に触れる人々と対談をしていきます。
第二回となる今回の対談相手は、2022年に東京で開催された展覧会「END展」のキュレーター・塚田有那さん。「END展」では、その展示を通してさまざまな死生観の形が表現されました。そんな場を生み出した塚田さんと、現代における「死を思うこと」についてお話ししていきます。
死や人生に関するさまざまな問いと、関連する 〈名作マンガの1シーン〉を展示した参加型展覧会。2021年11月に1度目の展覧会「END展 死×テクノロジー×未来=?」が12日間に渡り開催され、2022年5月にはさらなるアップデートを遂げた2度目の展覧会「END展 死から問うあなたの人生の物語」が開催。13日間で総勢9600名以上が来場し、多くの人が「死にまつわる問い」に向き合う時間となった。
「END展」に20代までの若者が殺到した理由
宮嶋塚田さんの存在を知ったのは、2022年5月に行われた「END展」
でした。私はこれまで、お亡くなりになる方やご遺族の方と接してきましたが、若い方からお年寄りまでが死について真剣に考えられる場所ってこれまでなかったなと非常に感銘を受けて。ぜひお話してみたいと思ったんですよね。
塚田ありがとうございます。
宮嶋これだけの反響があることを見込んだうえで、「END展」をスタートされたのでしょうか?
塚田いえ、全く予想していなかったんです。「END展」は2回開催したのですが、2021年11月に六本木で行われた初回では会期終了間近になってだんだんと若い方が来られるようになって、Twitter上での反応も増えてきたところで会期終了だったので、「もっとやりたかったね」と言っていたくらいで。
特に、10~20代へのリーチは本当に予想外でした。
宮嶋10~20代の方がたくさん来られたのはどうしてなんでしょうね。
塚田私たちもなぜだろうねと話していたのですが、まずコロナ禍を経て、社会全体が内省する時間を持てたことは大きいと思いました。
オリンピックやパラリンピックがお祭りモードのまま終わらず、「こんなに人が亡くなっている状況でやって本当によかったの?」と立ち止まって考えられていなかったら、今回の企画はここまで注目されなかったんじゃないかなと思うんですよね。
しかも、この数年はコロナ感染による死者数が毎日のように報道され続けて「今日は(死者が)多いね」「減ったね」といった会話が当たり前になっていますよね。死に関する統計的な数字はわかったとしても、ナラティブな部分がごっそり抜け落ちてしまっている。そうした現状に行き場のなさを感じていた若い方が多かったんじゃないかなと想像しています。
宮嶋トラウマのようになってしまう人もいるかもしれない、と感じていました。
塚田「感染したら死ぬかもしれない」という想像を誰もが一度は抱いた中で、ビビッドな感性を持っている10~20代にとってはとりわけ深く突き刺さる出来事だったのかなとも感じました
またそれ以上に、いまを漠然と生きていくだけではなく、「自分が死んだらどうなるのか」といった想像や、社会的にタブー視されている「死」について、自分なりに考え、ちゃんと目を向けたいという潜在的な想いを吐き出せる場として機能したのかなと。
「死」を抽象的に語るパブリックな場が求められている
塚田そう考えると、「死」について公に語り合う場がなかったことも、「END展」に多くの人が来てくださった理由の一つかもしれません。
宮嶋家族のかたちが変わっていく中で、おじいちゃんが孫に対して「人は死ぬとどうなるのか」なんて話をする機会も少ないでしょうし、地方出身の方が東京に住み始めるとお墓参りもなかなかできませんからね。身近な人の死について触れ、語る機会が少なくなっています。
塚田そうですね。一方で、あまりにも死が近すぎる場面だと、かえって話しにくいこともありますよね。たとえば、生前から「おばあちゃんのお墓どうする?」といった具体的なことを話すのは縁起でもないというか。
一方で、「END展」では「人って死んだらどうなるんだろうね」とか「死をどのように捉えたいか」といった抽象的なテーマを、アートや漫画といったフィクションとともに展示しました。そうすることで、”自分ごと”から少し離れて「死」を概念として語り合えたのもよかったのかもしれません。
宮嶋かつては、各町にあるお寺がそういったコミュニティ機能を担っていましたけどね
塚田これまでは、宗教や民間信仰などが「抽象的に死を考えたり、語ったりする場」を提供していたんだと思います。ただ、昨今の宗教離れによってそうした場所がなくなってしまっている。家族や地域間のコミュニティへの帰属意識が薄れる中で、そうした新しいコモンズの場としてたまたま機能したのが「END展」だったのかなと感じています。
宮嶋よくわかります。まなかの代表になった約15年前から、私は亡くなった方を想う時間がもっと身近になればいいと思ってきました。ただ、当時はまだそうした流れがほとんどなかったんです。
それが今では、年齢を問わず「死について同じ場で語ること」がこれほどまでに求められるようになった。コロナ禍になったこともあるでしょうけれど、日本が成熟期に入って、物質的な豊かさ以外の何かを模索していきたいといったフェーズに入ったからなんじゃないかなと想像しています。
塚田「死」は普遍的でありながら、絶対的に誰も答えを持っていないことがわかっている領域ですから。世代や背景関係なく語り合えるという意味でも「死」というテーマは時代にハマったのかもしれません。
対談記事は中編・後編を更新予定です。
中編:地域によって異なる「死の文化」(更新済)
後編:死後の私たちについて。自然の一部になりたいのか(5月19日更新予定)
Profile
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塚田 有那(つかだ ありな)
編集者/キュレーター。
2021年11月に「死」からテクノロジーと社会の未来を問う展覧会 「END展 死×テクノロジー×未来=?」を企画。 2022年5月には、二度目となる参加型展覧会「END展 死から問うあなたの人生の物語」を開催した。一般社団法人Whole Universe代表理事。アートサイエンスメディア「Bound Baw」編集長。編著書に『RE-END 死から問うテクノロジーと社会』がある。遠野巡灯篭木(メグリトロゲ)主催。